No.1 千葉の里 花紀行

坂田ヶ池の梅林

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坂田城址の梅林

 横芝光町にある坂田ヶ池は、北総台地が終り九十九里浜に向けて平野が開け始める位置にあり、台地から湧き出す水を貯めた大きな池である。急峻な台地に続く細い道を20mばかり登ると 平坦な畑が広がっている。登ってみるとそこは水田地帯に半島のように突き出た細長い台地であることが分かる。台地は急峻な崖に生えた斜面林に囲まれている。辺りに見通しが利くことから戦国時代には砦を作るには格好の場所であったに違いない。城址の数箇所ににつくられた空堀がそのまま残っている。 この台地上に平らに開ける城址が畑となりその一部が梅林となっている。梅の木は果樹園としてであり、鑑賞用として植えられたものではない。

城址の横芝町説明立板からの抜粋
 坂田城は戦国時代に、横芝町周辺を支配していた井田氏が築城したと伝えられる、県内でも屈指の大規模な中世城郭である。一般に文献や絵図など資料に乏しい中世の城郭としては珍しく、井田氏の家臣であった神保氏の残した「神保文書」や、江戸時代に描かれたとされる絵図面等が伝わっており、城郭の遺構の残存状況の良さと合わせて県内でも重要な遺構とされている。
 中世の城郭は、石垣や水堀を多用して、主に平地に築かれた近世の城郭とは異なり、土を切り盛りして造られた土塁、土橋、腰曲輪そして空堀等を組み合わせ、台地や丘陵など自然地形を巧みに利用して築城されている。
 坂田城を築城した井田氏は戦国時代の小領主の一つであり小田原の北条氏に仕えていた。井田氏は元々千葉氏の武将であったが、現在の芝山町にある田向城へ居城を構えてから次第にその勢力圏を拡大、田向城の北東にある大台城のその居城を移しつつ周辺の小領主を従い始めた。しかしながら当時の井田氏の勢力から見て坂田城は余りにも巨大であり、当時、安房の里見氏と小田原北条氏の対立する状況にあって、井田氏以外の北条氏よりの武士集団がいざという時に集結する拠点として作られたのではないかと考えられている。
 このように井田氏は小田原の北条氏と同盟関係を結び、豊臣秀吉による小田原城攻めに際して北条側に味方したため、北条氏の滅亡とともに坂田城は廃城となった。

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